「求人票を改善すれば採用できる」というのは、いまの市場では成立しにくい考え方です。エンジニア採用の難しさは、自社の採用力ではなく市場構造そのものに起因しています。
採用がうまくいかないとき、最初に見直されるのは求人票や採用広報、面接プロセスといった「採用活動の中身」です。もちろんこれらの改善も意味を持ちますが、それだけでは説明がつかない難しさが、いまのエンジニア採用には存在しています。
求人票の見せ方を工夫し、採用広報で技術ブランディングを強化し、面接プロセスを最適化する―――これらは採用活動の質を高める上で有効な打ち手です。しかし、市場全体の供給量が需要に対して不足している状況では、自社の採用力をどれだけ磨いても、確保できる人材の総量には限界があります。
CTOやVPoEが向き合うべきは、「採用がうまいか下手か」という個別企業の課題ではなく、市場そのものの構造変化です。
厚生労働省「一般職業紹介状況」によれば、2026年2月時点でエンジニアを含む情報処理・通信技術者の新規求人倍率は3.06倍に達しており、全職種平均の1.92倍を大きく上回っています※1。求職者1人に対して3件以上の求人が存在する状況は、求人票の改善で解消できる規模の差ではありません。エンジニア採用の難しさは、個々の企業努力の手前にある、市場構造の問題として捉える必要があります。
なぜ、この需給ギャップはここまで拡大したのでしょうか。背景には3つの構造的な要因があります。
国内IT市場は拡大を続けています。IDC Japanの予測では、2025年の国内IT市場規模は前年比8.2%増の26兆6,412億円に達し、2023年から2028年にかけて年平均6.3%の成長が見込まれています※2。
DX推進や生成AI活用への投資が、IT業界以外の企業も含めて広がっており、エンジニアを求める企業の数そのものが増え続けています。一方で、エンジニアの供給量はこの需要拡大のスピードに追いついていません。市場が成長するほど、需給ギャップはむしろ拡大する構図になっています。
需要の拡大は、すべての職種に均等に広がっているわけではありません。AI、クラウド、データ、セキュリティといった先端領域への需要が特に強く、企業同士がこれらの領域で同じ人材プールを奪い合う状況が生まれています。
経済産業省の試算では、AIやIoT、ビッグデータなど第4次産業革命に対応する「先端IT人材」は2030年に最大約55万人不足するとされ、需要が一部の専門領域に集中していることがうかがえます※3。需要が広く薄く分散しているのではなく、特定のスキルセットに偏って集中している点が、採用の難易度を一段と高めています。
エンジニアにとって、キャリアの選択肢はかつてないほど広がっています。スタートアップでの裁量の大きい開発、SaaS企業でのプロダクト志向の仕事、AI企業での最先端領域への挑戦、フリーランスとしての独立、リモート前提の働き方、さらには海外企業からのオファーまで、選べる道は多岐にわたっています。
従来型の正社員採用という枠組みだけでエンジニアにアプローチしようとしても、候補者の選択肢の広がりに追いつけない場面が増えているのです。これは個々の企業の採用条件の問題ではなく、エンジニアという職種全体における働き方の多様化という、市場側の変化です。
ここで重要なのは、採用競争の激化が人事領域だけの問題にとどまらず、技術戦略の実行そのものに影響を及ぼすという点です。
開発ロードマップは、必要な人員が確保できることを前提に組まれています。しかし、計画したタイミングで必要な人数・スキルのエンジニアを採用できなければ、ロードマップの遂行スピードはそのまま低下します。採用の遅れは、単に「人が足りない」という現場の問題ではなく、事業計画そのものの遂行可能性に直結する問題なのです。
技術選定は、本来であれば事業要件やパフォーマンス要件を基準に行われるべきものです。しかし、採用市場で人材を確保しやすい技術スタックを優先する、という判断が入り込むことがあります。最適な技術を選んでも、それを扱えるエンジニアを採用できなければ意味がないため、採用市場の制約が技術選択の自由度そのものを狭めてしまうのです。
AIやDXへの投資判断は、予算がついた時点では実行が確約されたわけではありません。実装・運用を担う専門人材を確保できなければ、プロジェクトは着手段階で停滞します。採用競争が激しい領域ほど、投資の意思決定から実行までのリードタイムは長くなり、競合より先に着手できるかどうかにも影響します。
採用できないことは、単なる人事課題ではありません。それは技術戦略そのものが止まる、という経営レベルの問題なのです。
ここまで見てきた構造要因を踏まえると、採用活動の改善だけでこの状況を乗り越えることには限界があります。
求人票の訴求力を高め、採用広報で組織の魅力を発信することは、応募者の質や量を一定程度改善する効果があります。しかし、これらの施策が機能するのは、あくまで「限られた人材プールの中での競争」においてです。プールそのものの大きさが需要に対して不足している以上、採用活動の工夫だけで構造的な需給ギャップを解消することは難しいのが実情です。
採用改善が重要であることに変わりはありませんが、それだけに依存するのではなく、人材を確保する「供給源」そのものを広げる視点が必要になります。国内の採用市場という単一のプールに依存し続ける限り、構造的な競争から逃れることはできません。
こうした市場構造を前提とするならば、技術責任者に求められる発想も変わってきます。
国内の採用市場が構造的に厳しい状況にある以上、採用チャネルを国内採用のみに限定することは、リスクの高い選択になります。育成、外部リソースの活用、海外人材の採用など、複数の供給源を持っておくことが、採用競争に左右されにくい体制づくりの前提になります。
人材確保の起点を「採用市場の状況」に置くのではなく、「自社の技術戦略」に置くことが重要です。今後実現したい技術ロードマップから逆算して、どの時期にどのスキルが必要になるかを把握し、複数の供給源を組み合わせて計画的に確保していく姿勢が求められます。
正社員採用、業務委託、海外人材、外部パートナーといった複数の人材確保手段を、目的に応じて組み合わせる「人材ポートフォリオ」という考え方が、これからの技術責任者には欠かせません。どの手段に何を担わせるかを設計することが、構造的な採用難の時代における現実的な対応策になるでしょう。
採用市場の構造を理解したCTO・VPoEが次に向き合うべき問いは、「人材供給源をどう広げるか」です。海外IT人材の活用や、グローバルな採用戦略は、その選択肢の一つとして検討に値します。
エンジニア採用の難しさは、自社の採用力不足ではなく、需要拡大と供給不足という市場構造の問題です。採用改善には限界があり、技術戦略から逆算した人材供給源の多様化が、これからの技術責任者に求められています。